飯豊山

日本百名山

飯豊山

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 所定の夏休みより一足早く休みをとり、山形、福島、新潟の3県にまたがる飯豊連峰へ行った。夜行2泊3日の山小屋素泊まりコース。おりしも18切符の期間中であり、行きは鈍行で行ったが、帰りは疲労困憊のため新幹線にした。

【山 名】飯豊山
【山 域】飯豊山
【日 程】1994年7月27日(水)〜30日(土)
【天 気】快晴(30日朝のみ雨)
【入山地】川入
【下山地】加治川治水ダム
【交 通】行き:横浜=新宿=(ムーンライト)=新津=(常磐西線)=山都=(タクシー)=川入
     帰り:加治川治水ダム=(ヒッチハイク)=上赤谷=(新潟交通バス)=新発田駅=(いなほ14号)=
        新潟=(あさひ326)=東京=横浜

7/27(水)アプローチ 【横浜〜新津】

 17時40分、会社を飛び出すとスーパーで食料を買いだし、夕食、風呂、パッキングとそうそうと済ませ、新宿へと向かう。
 新宿発の夜行列車ムーンライトは全席指定の普通列車である。指定席券(\500-)とこの時期利用できる18切符(\11300ー,5日分)は既に購入してある。
 指定券を持っているにもかかわらず、新宿には発車1時間前に着いてしまった。5番線は急行アルプスなども入ってくるため、ほとんどの乗客はやまやである。それでも新潟方面へ行くムーンライトは比較的やまやは少ない。入線したムーンライトに乗り込んだ乗客の3割は鉄道小僧(この列車を使うと1日で札幌まで行ける)、3割は新潟方面への旅行もしくは帰省客、残りの4割がやまやであった。鉄道小僧はおとなしいのであるが学生の山岳部はうるさくてかなわない。
 ムーンライトは多くの普通列車にあるような直角シートではなく、リクライニングなので長時間乗車でも楽に乗ることができる。発車してまもなく車掌が検札に現れる。ムーンライトは運行が二日にまたがるので、初日分は0時をすぎる最初の停車駅である高崎までの\1700ーを払い、次の日分は18切符に日付を入れてもらう。
 しばらくすると減灯時間となるが学生はひたすら騒いでいる。私は眠りにつこうとするが寝つかれず半覚醒のなかぼーっとしていた。ふと気が付くと外が明るくなっている。見渡す限りのたんぼである。あー新潟に来たんだ。日本の米どころへ来たんだなあと感慨にふける。

7/28(木)アプローチ 【新津〜川入】
 4:59、新津に到着。「花と緑と石油の町」という触れ込みであるがどこで石油が取れるのであろうか、ここで乗り換えである。新津で降りる客は殆どいない。やまやは私だけである。乗り換えの常磐西線は1時間待ちであり、その間コンコースを物色する。この駅の待合い室は夜間閉鎖されている。去年北海道に行ったときに発見した東室蘭駅のような夜間解放の畳敷きの休憩室は特異なのだろう。駅前にコンビニがあるが閉まっている。朝早くの食料調達は不可能である。開店は7:30となっている。
 発車15分前に2両編成の常磐西線会津若松行きが入線。ボックスシートを占領し靴を脱ぎくつろぐ。冷房はないが、窓をあけていると乾燥した風が心地よい。発車時には10数名の乗客が乗っていたがいずれも地元の人たちである。目的の山都駅まで20駅ほど停車するが、この列車は一駅あたり1〜10分停車するため、80kmあまりの行程を2時間半かけて走る。途中から高校生がどやどやと乗り込み乗車率は100%ちかくになる。地元の人であろう沿線の駅から三々五々集まった唯一私以外の登山グループ(高年)が山都より手前で下車するが、彼らは果たして何処へ行くのであろうか、私の持っている地図ではそこからのルートはない。しかし8時間後に彼らと再会することになるが、ここでは知る由もなかった。
 8:31、定刻に山都駅に到着、改札は無人の田舎駅である。8:40発の川入行き季節バスは既に駅の正面で待機していた。明らかに登山バスであるが乗客は少ない。バスに近づこうとすると、横で乗合タクシーの親父が呼び込みをしている。聞けば、バスよりも早く奥まで乗せていってくれると言う。料金もバスより200円高いだけと言うではないか、そもそも歩程に無理がある計画である、時間の短縮は大いに魅力がある。バスを後目にバンのタクシーへ乗り込む。よく見ると白タクではなく本物のタクシーであった。これに乗り込んだのは、1組の中年夫婦と私と同年輩の若者1人のいずれも飯豊山を目指す者であった。この若者とはタクシー内では会話をすることはなかったのですが、後に山中で会話することになり、東京の人で川入から飯豊山荘まで縦走するということであった。

【川入〜三国岳】

【川入登山口】

 タクシーは川入から徒歩25分の川入キャンプ場に到着。ここには駐車場(10数台駐車可)があり三国岳登山には便利である。

 9:15、靴紐をしめ直し登山開始。いきなりとんぼの大集団である。地面にも大量のとんぼがとまっている。このとんぼ、飯豊山全山にわたって大発生しており、終始足の踏み場に苦労することになる。飯豊山は天下の霊峰(?)、殺生は禁物である。

【御沢小屋付近】



 川沿いのブナ林を数分も歩くと右手に御沢小屋があらわれる。宿泊は取り扱っておらず、「三国小屋まで頑張って歩きましょう」、という感じで看板が立てかけてあった。ここから三国小屋までは5時間はかかるというのに悠長な看板である。御沢小屋からかなり急勾配になり500〜600メートルおきに下十五里、中十五里、上十五里、笹平と続く。
 中十五里から脇道に三分ほど下ると水場がある。ちょろちょろと水量はすくないが手ですくって飲むとひんやりとして実にうまい。今回の山行は真夏の太陽の下、汗だくになっているので水の消費が激しい。飯豊山は登山道から脇道を少し下って水場があるというパターンが殆どである。渇水が続く日本列島であるが、真夏でも雪渓が残る飯豊山の水場は枯れることはないようである。

【三国岳手前】



 横峰小屋跡からしばらく歩くと三国岳へのショートカットコースと地蔵山経由コースとの分岐があらわれる。私は後者を選択し、標高1485Mの地蔵山まで行き、休憩を取る。ここまで御沢小屋から三時間のコースタイムであるが、それ以上の時間がかかってしまった。体の調子は絶好調で体力も十分であるが、暑さにまいってしまった。標高1000Mを越えると夏でも涼しいというのが今までの経験であったが、ここ飯豊山はどういうわけか30度はあるように感じる。じりじりと照りつける太陽で、こまめに休みをとり水を摂取しないと日射病や熱射病にかかってしまう。

【三国岳付近からの眺望】



 地蔵山から三国岳まではこの日最大の難所で、剣ヶ峰の岩稜と言われている。何度も山頂かと思い登り切るが騙され次のピークへと目指す。途中下ったところに水場がありザックを置き去りにして水筒だけもって汲みに行く。ここは水の出が悪く細々とでているが水筒を置いて、風景をぼーっと見ているといつのまにか満タンとなっていた。再びルートに戻るが疲れてザックを背負うのがおっくうになった。岩稜に腰を下ろし絶景を楽しむ。

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