沖縄放浪記


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 次に向かったのが、琉球ガラスを実演販売するガラス村。実際にガラス製品を作っていた。広い土産物屋も併設しており物色するが、同じ品が国際通りの方が安かった。
 バスはひめゆりの塔へ。名称は良く聞くが、詳しいことは何も知らなかった。ここでは初めてその謎が明らかになった。塔と言っても3bほどの石碑で、その下の洞窟が陸軍病院壕だったようだ。近くの平和祈念資料館はツアーのオプションで入場料(\200)を払って見学する。ここは入館者も多く多くの人が関心を寄せていることが分かる。次の集合時間の関係でゆっくり見て回る時間が無く、早足で順路を進んで外に出た。
 ひめゆりの塔の近くのレストランでツアーが用意した昼食となった。出された食事は、わずか3時間前に食べたばかりの沖縄そばであった。しかしここでの収穫は、沖縄風ドーナツの「サーターアンダギー」が付いていたことだ。

【平和の礎】

 平和祈念公園の平和の礎


 次は平和記念堂へ向かった。那覇空港への着陸体制に入った飛行機の中から真っ先に見えたのがこの塔だ。塔の中にはいるには参観料\500。料金はツアー持ちだ。中は大きな平和祈念像が鎮座している。塔は吹き抜けで上の方へ登ることはできない。塔の外にある美術館も塔の参観券で入れるので、そこも見学した。塔の周りには広大な平和記念公園が広がる。6月23日の戦没者追悼はここで行われ、多くの人が訪れる。戦没者の名前が刻まれた平和の礎は数があまりにも多く、20万人という犠牲者の数が戦争の悲惨さを伝えている。
 修学旅行的バスツアーも終盤を迎え、そろそろ疲れてきた。移動のバスの中でガイドさんは一生懸命ガイドを続けているが、睡魔が襲ってくる。しかし、客とは言えガイドさんの聴衆は4人しかいない。ここは睡魔と戦いながら説明を聞くしかない。その説明も後半は歌が多くなり、あまり上手いとは言えないが、沖縄の昔の言葉で使った歌を聞かせてもらった。4人の拍手も寂しかったが...。

【玉泉洞】

 30万年の年月が創りあげた全長890mの鍾乳洞。天井には2万本のつらら石が生えている。


 バスは玉泉洞王国村に到着。雨がぱらぱらと降ったりやんだりのはっきりしない天気だ。洞窟の中は問題ないが、そこから出た後、駐車場まで外を歩くので、バス備え付け(?)のビニール傘を借りる(結局使わなかった)。ガイドさんは王国の入口までで後は自由行動。入場料の1200円はツアー持ち。この金額はツアー料金のかなりの割合を占めるので得した気分になる。玉泉洞は日本で2番目の規模を誇る鍾乳洞らしい。一番は秋芳洞だろうか。洞窟は夏でもヒンヤリ涼しいという印象があるが、ここ沖縄の洞窟は蒸し暑く、汗を拭き拭き遊歩道を歩く。ときおり頭上から水滴がしたたり落ちてくる。
 いろいろな名前が付いた場所が次々と現れるが、のんびり歩いているとまたバスの集合時間に間に合わなくなる。少し早足で遊歩道を進んでいく。最後は沖縄一長いと言われるエスカレーターで地上に出る。帰りは王国村の熱帯フルーツ園、高倉、琉球ガラス工房・陶器工房、王国城下町、黒糖工場、そしてお決まりのおみやげ専門店街を巡って村の外に出る。
 バスが王国村を離れる頃は日が落ちつつあった。それでも九州・沖縄は関東よりも1時間近く暗くなるのが遅いはずだ。ツアー最後の経由地である国際珊瑚加工所へ向かった。ここは何のことはない、買い物をするところだった。琉球バスとこの店が何らかの利害関係でツアーに組み込まれたのだろう。売り物には目新しい物はなかったので、何も買わずにバスに戻った。
 琉球バスの本社でツアーは解散し、国際通りを歩いて宿へ戻った。この日の宿は日曜日にもかかわらず、満室だそうだ。鍵をもらって部屋へ入ると、何と12畳ほどの広い部屋でキッチンやユニットバス(風呂付きはあらかじめ予約時に指定していた)が付いている。一人で泊まるにはもったいない広さだ。少し休んでから夕食を食べるために外に出た。
 外は相変わらず雨がぱらぱらと降っているが、近くのアーケードに飛び込むと雨はしのげる。昼食べた公設市場に行くと1階の店はほぼ閉めているものの2階の飲食店はやけに活気があって満席状態。ここでの食事を諦めて商店街をうろうろするが、閉まっている店が多い。国際通りの開いてそうな店は居酒屋やお高そうなステーキハウスばかり。不本意ながらもお手軽なマクドナルドに入った。

 沖縄二日目。天気は曇りで風は強いが、とりあえず雨は降っていないようだ。宿の朝食はちょっと豪華。うみぶどうも出て初めての味を味わう。
 県庁の前まで歩いていき、首里城に向かうべくバス停の時刻表を見るが、どのバスに乗ったらいいかさっぱり分からない。しばらく待っていると、首里と書かれたバスが来たのでそれに乗り込む。車内のアナウンスを注視ならぬ注聴し、首里という地名で下りようと構えていた。しかしながら待てど暮らせど首里という言葉は出てこない。首里は那覇市内にあるはずだが、どうやらバスは市外を走っているようだ。これはおかしいとバスを降りることにした。下り際、バスの運転手に聞くと首里はとっくの昔に通り過ぎたようだ。バスには首里経由としっかり書かれているのに、首里のバス停がないのは言語道断である。不案内な人間にはそんなフェイントが通用するわけがない。と、文句を言いたかったが、言ってもしょうがないので何も言わずにバスを降りる。400円あまりのバス料金が忌々しい。
 再び反対側のバス停からバスに乗ることも考えたが、またダマされたらかなわないので、タクシーに乗ることにする。タクシーはすぐにつかまり、首里城へと告げる。すぐさま遠いですよ、と切り返され、再びバスへの怒りがこみ上げる。運ちゃんに事情を話すと、どうやら山川と言うバス停が首里に一番近いところだそうだ。そんなの旅行者に分かるわけないだろう!

【歓会門】

 首里城の城郭内に入る第一の正門。


 タクシーとは首里城守礼門のすぐ近くで別れる。さすがに世界遺産の首里城には観光客が多い。中国人が目立つのは沖縄が大陸に近いためか。また首里城そのものも中国の城の建築様式そのものでもある。
 城郭の外にある守礼門は幻の2000円札の絵柄にもなっている。扁額には「守礼之邦」と書かれ、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそうだ。守礼門の先に歓会門があり、さらに漏刻門、広福門と続く。入館のチケットを自販機で買う(800円)奉神門から先が有料だ。南殿や正殿、北殿の中を見学する。
 首里城には天守閣のような物はなく、西のアザナと言うところが物見台となっている。この日は天気が悪かったが市内の町並みがよく見えた。
 首里城の近くには沖縄県立博物館がありぜひ訪れてみたかったが、この日は月曜のためたぶん閉館しているだろう。次の機会に訪れることにする。日本の道100選に選ばれたという石畳の坂を通って、多少遠回りに歩きつつ、最後に玉陵(たまうどぅん)という王様の陵墓を訪れた。全て石で作られた沖縄独特の破風墓だ。入場料200円。

【福州園】

 バスに乗って国際通りまで戻り(今度は大丈夫)、再び公設市場の二階で刺身定食とビールで昼食にする。国際通りでお土産を買ってまだ時間があるので、福州園へ向かった。中国の福州市は那覇市と友好都市を結んでおり、その記念事業として福州の名勝をイメージした庭園をこしらえていた。入園料300円を払って中へ。順路に沿って30分ほど、日本庭園とは違った趣を楽しむ。
 県庁前のバス停では、修学旅行のバスが停まっており、その横で地元のテレビ局がニュースの収録を行っていた。レポーター曰く、「アメリカのテロの影響で、沖縄では修学旅行のキャンセルが××件にのぼり...」。

 台風のため帰れるかどうか不安であったが、無事飛行機は飛び立ち、東京へと向かった。テロの報復の報復が心配され、一時は死を覚悟(大げさ!)した沖縄旅行であったが、こうして報告を書けるのも生きている証である。人生何が起きるか分からない、飛行機にしろ焼肉にしろ、あまり思い煩わずに気にしないことが肝心だろう。

おしまい
Camera:CANON Power Shot S10

NOYAMA
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