台北放浪2004


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【2月8日(日)】
 最終日の朝、この日は完全な雨だった。けっきょく台湾滞在の四日間で晴れることはなかった。傘を差して行天宮へ向かった。ホテルから歩いて行かれる距離にある。民権東路を東のほうにまっすぐに歩くこと10分ほどで着いた。早朝で雨にもかかわらず、参拝客はそこそこいた。

【行天宮】

 入場無料、4:00〜23:00
 www.ht.org.tw



 行天宮は関帝廟で関羽を祀っている。横浜の中華街にもあるが、商売の神様として中華系の人たちには人気があるようだ。
 行天宮の前の交差点の地下道は占い専門店街となっており、多くの店が連なっていた。しかし訪れた時間が早かったためどの店もシャッターを下ろしていた。日本語で占います、と書かれたシャッターもあった。ガイドブックによると開くのは午後からのようだ。  ホテルに戻る前にコンビに立ち寄り朝食を買う。「香辣鶏腿飯」「カップビーフン」「巧克力牛乳」。ビーフンは好きなので何杯でも行けそうだ。
 ホテルをチェックアウトして、MRTで圓山へ。荷物があるが、今回は極力減らしたのでショルダーバックひとつだ。トランクだと余りうろちょろできない。丸山駅から歩いて孔子廟に向かう。

【孔子廟】

 創建は1879年。現在の建物は1939年に完成。
 入場無料、8:30〜21:00(日祝は17:00まで、月曜は休み)
 www.ct.taipei.gov.tw



 孔子廟は学問の神様である孔子を祀っている。台湾(中国)の神社は具体的な実在の人物を祀るものが多い。この日訪れた、関羽や孔子はその代表格だろう。こちらの孔子廟は太宰府天満宮のように受験シーズンともなると多くの受験生たちが訪れるそうだ。ところでこの日、孔子廟自体には誰も人がいなかった。近くに大龍(山同)保安宮というのがあり、そこに多くの人が集まっていた。初めそちらの方が孔子廟だと思っていたが、どうやら違った。それは帰国してから知った。ちなみに保安宮のほうは医学の神様の廟で1805年の創建。こちらも実在の医者を祀っている。
 近くの商店でお土産用の高原茶を買い、ちょうどやって来た中山機場行きのバスに乗る。何事もなく空港まで行って日本へ帰るはずだったが、ハプニングは待っていた。なんとバスは空港行きではなかったのである。知らない街で停まって終点だという。最悪である。空には飛行機が低空で飛んでいるので空港は近いようだ。一瞬途方に暮れたが運転手が空港に行くバス乗り場を教えてくれた。そのバスの後方10mに乗り場の標識があった。  雨の下でバスを待っていると、初日に乗った大有巴士がやって来た。今度こそ大丈夫だろう。ベトナム人と思われる客も乗ってきた。荷物を持っていないのが気になったが。このバス停が始発なのか30分ほど待ってバスは出発した。
 ターミナルは第一と第二があり、第一で降りなければならない。相変わらず車内アナウンスはないので、自分でそこがどちらのターミナルか見極めなければならない。曇ったガラスを手で拭いて外の様子をしっかり見ているとバスは初めに第二ターミナルの方へ入っていった。慌て者はそこで降りてしまうだろうが、もちろんそこでは降りない。次に第一ターミナルに行くことを信じて待つ。そして果たしてバスは次に第一ターミナルで停まった。来るときに乗った場所だった。ようやく空港に着いたのだ。これで一安心。
 出発ロビーを探すのに少し迷ったが、何とか航空会社のチェックインカウンターまでやって来た。しかしそこでも旅のイベントは待っていた。一人の老婦人が近づいてきて、片言の日本語で言った。「私はこれから日本に留学している娘(孫?)に一人で会いに行く、一緒に成田まで行って欲しい」と。これは怪しい。絶対怪しいと思いつつ。はぁ、そうですかと聞いていると。その夫人の旦那もやってきて話しかけてきた。私の会社は旅行用鞄を作っていて有名だ。ほらこの鞄もそうだ、と前に並んでいるひとの鞄を指さした。なんだかんだと話しかけられているうちに、その夫人と一緒にチェックインすることになってしまった。その老婦人は大量の荷物(140kg以上)を持っており、どうやら私のチケットで持ち込み制限分散を計ったようだ。なんだか危険を感じながらも、チェックインを終えてその夫妻とは別れた。
 空港の売店でお土産を物色したが、何も買わずに搭乗待合室に。先ほどの老婦人がいて、免税店でもらったというおまけのバックをくれた。機内に乗り込むと、その老婦人はファーストクラスであった。
 エコノミークラスの私の席の通路を挟んで反対側には若い日本人女性が2人座っており、たぶん旅行帰りなのだろう。2人で旅の余韻を楽しんでいるようだった。そのうちの一人はとても恰幅の良い人で、乗務員がお飲物は何にいたしましょうと訪ねると、大きな声で「ビールください」。そして10分後に再び、「ビールのお代わりください」。更に10分後に再びお代わり...。食事を挟んでも更に飲み続けている。ほとんどの乗客が食事を終え、テーブルも片づけられておとなしくしているのに、その女性は乗務員呼び出しのボタンを押し続けてビールを要求している。そしてふと気づいたのか、あれっ、どうして私の食器だけ片づけられていの〜。乗務員呼び出しボタンを押して片付けさせた。いったい何本のビールを飲んだのだろう。さらに再び乗務員呼び出しボタンを押している。またビールかと思ったら、機内免税品を買っていた。台湾の人たちには親日家も多く、日本統治時代の日本の武士道を誇りとして受け入れている人もいる。街には日本語があふれ、「日本式」と書かれた商品はよく売れる。「の」と言う言葉が「的」に代わって普通に使われていたりする。この航空機はChainaAirなので、乗務員は台湾人だ。日本からやって来た乗客にどのような印象を持ったのだろうか。日本人として恥ずかしい思いをした場面であった。
 成田空港の荷物受け取り所で、老婦人の荷物をカートに載せる手伝いをする。税関では私の方はノーチェックであったが、老婦人の方は4人ほどの税関係員から厳しいチェックを受けていた。一人の係員からあなたは知り合いか、と聞かれたので、いえ手伝っていただけです、と応えてその場を離れた。その後その老婦人がどうなったのかは知らないが、私の方は無事横浜まで帰ることができた。いったいあの荷物は何だったのだろう。食料品だと言っていたが本当だろうか。一応、旦那の方の名前と連絡先は教えてもらっている。次に台湾へ行く機会があれば連絡してみようかな。

■参考文献
『地球の歩き方 台北』
『ぴあMAP 台湾』
『台湾紀行』 司馬遼太郎
『日本人が台湾に遺した武士道精神』 黄文雄


Camera:SONY DSC-U30



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